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たえちゃん★ひいひい人生★

まいにちを清々しく穏やかにすごしていきたい♪

シリーズ1 すべり症・ヘルニア まとめ

突然の痛み

 突然、その痛みはやってきた。インバウンド復活で、今までの空白を取り戻そうと、くる仕事はすべて引き受けて頑張って連日、外人客を連れて歩いていたときのこと。
 脚の様子がおかしい。朝はまだしも、夜になると痛くて駅から歩くのがやっと、という状態が続いた。こんなこと、今まで一度もなかったから、何か怖い病気なのかもしれない、とネットで調べてみたけれど、よくわからなかった。それでも、インバウンドの仕事は連日続いた。今更、断るなんて、できない。どの会社もガイド不足なのは明らかだった。だから、無理して頑張った。その日は京都泊りで、翌日が半日空いていたので、ホテル近くの整形外科に行ってみた。レントゲンの結果、薬をもらい「仕事が終えて自宅に帰ったら近くの病院でみてもらいなさい」と言われた。処方薬を飲んでも、激しい痛みは続いた。仕事は依然休めず、1週間我慢。そしてやっと近くの整形外科に行った。ところが、レントゲンを撮って薬をもらっただけだった。自分が何の病気なのか、どこが悪いのか説明もされなかったが、あまりにも痛みが強かったので、聞くのも忘れていた。

MRIのある脊椎専門のクリニック

 結局、MRIのある脊椎専門のクリニックを探して診察を受けた。病名は、腰椎変性すべり症と腰椎椎間板ヘルニアの二つ。なんと、クッションの役目をしている椎間板の一部がはみ出してきて神経を圧迫、それで痛む、ということだった。「これは手術でしか治らない、またはずっと痛み止めを飲み続け、その痛み止めを少しずつ強くしていくしか方法はない」すごくショックだった。でも病名もわかり少し落ち着いた。「手術は簡単だから」 という言葉を真に受け、手術を受けることを決意。でも、まだ1週間のツアーが2日後に控えていたので、ツアー終了後に入院して手術、ということになった。ツアー中は、不思議なことに、動きが不自然なのに、痛みは感じなかった。よほど痛み止めが強かったのだろう。 
 さて、ツアー終了後、病院で入院と手術の説明を受け、たくさんの書類を受け取って帰宅。まさか自分が、こんな病気になるなんて思いもよらなかった。今まで一度も病気らしい病気をしたことがなく、膝も脚も腰も全く問題はなかったのに。でも、明らかにMRIで撮られた自分の腰椎はつぶれていた。書類の多さに愕然とし、たいして真剣に読まず署名だけした。翌日は、息子たちにあって、手術のことを話した。ひどく驚いていた。「母ちゃんは、いつだって健康って思っていたのにね!」

手術

 入院した翌々日、手術をうけた。
 手術の方法は、腰椎前方後方同時固定術。これは、神経を圧迫している損傷した椎間板を取除き、狭くなった脊柱管を広げ圧迫された神経を緩めることが目的で、椎間板にチタン製の金属を入れて連結させ、上下を釘のようなもので支えぐらつきを抑える、というもの。つぶれた神経は、手術後から徐々におのずと膨らみ始めるらしい。ただし神経の回復には限界があるそうだ。手術中は全身麻酔だから、何もわからなかったけれど、病室に運ばれてから、今まで味わったことのない極度の激痛が全身を覆い、私はひたすら、叫んでいたようだ。「痛いよー痛いよー」
  自分では意識がもうろうとしていて何もわからなかったけれど、痛い、という感覚だけが強く、悲鳴を上げて泣いていたと思う。手術翌日もずーと寝ていたと思ったが、強い痛み止めで昼夜逆転していたらしく、丸二日経った、と思っていたのに、まだ1日半もたっていなかった!翌日は、ベッドに起き上がることもままならず、尿管がつながれていたから、一日中ベッドでうめき苦しんでいた。 
 看護婦さんが「何か食べないと体力がつかないから、回復が遅くなりますよ」といったけれど、とてもじゃないけど、起き上がれないし、歩けないのだから、どうして食事なんかできるの、と思い、勝手に不愉快になったりしていた。今思えば、まったくわがままな患者だった。  

手術後2日目

 まだ意識がもうろうとしていた時に、硬性コルセットのサイズを図りに業者の人がきて、背中を触った時のこと。苦痛のあまり、とっさに悲鳴をあげた。「やめてください!さわらないでください。痛いんです!」 業者の人にしたら、「この人、なんだよ、みんなやってることじゃないか」って思ったかもしれないけれど、自分の手術は、「大手術で、痛さも半端ない」って先生も看護婦さんも言っていたし、他の人とは、けた違いの痛さなんだ、って訴えたかったのだ。今考えれば、本当に、子供じみていて恥ずかしい。
 でも、体の痛みは半端なかった。触らなければ、痛み止めで痛みは感じないのだけれど、触るともうダメ。まさに体の中に異物が入っているのを感じた。そしてそれが背中の外に飛び出しているような感じだった。だから寝返りも怖くて打てなかった。もちろん、チタンの異物は体の中に、それも骨の間に入っているのに、感覚というのは、恐ろしいものだ。足を切断した人が、切断した後も、足の感覚があった、っていうのと同じなのかもしれない。 

手術後3日目

 看護婦さんが尿管を外してくれたので、少し元気が出てきた。文句言ったところで、なんにもならないし、結局は自分の体なのだから、ってようやく、わかってきたのだ。あれで、手術してよかったんだ、そうじゃなかったら、もっとひどくなって、回復できなかったかもしれない、と心の中で自分を励ました。入院前に渡された手術内容の書類などを、真剣に読み始め、ようやく状況を理解した。聞こえてきた患者さんたちの話も、自分を奮い立たせた。「去年も来た」とか「三度目だ」とか、まるで、どこか旅行先で会ったような、同窓会のような会話だったので、怖くなったのだ。手術しても回復する人は70%にも満たない、という。私は、もう二度と手術には来ない、と自分に言い聞かせた。そのために何をしたらいいのか、まだわからなかったけれど、とにかく、そう決めた。

手術後4日目

 今日から、硬性コルセットができるまで、軟性コルセットをつけることになった。トイレに行くのがリハビリと言われ、頑張った。最初はベッドから起き上がるやり方さえわからず看護婦さんに教えてもらった。まず、ベッドで横向きになり、肘でぐいっと、体をもちあげ、ベッドの手すりにしっかりとつかまり、重心を移動して体を起こし、その状態から歩行器につかまる。歩行器にたどりつければ、あとは、楽。でもトイレにしゃがむ時が、これまた痛かった。もちろん我慢した。それに、首からはとっさの痛みに対処できる痛み止めがぶら下がり、それが肩の後ろに針で刺されていて、ボタンを押すと、痛み止めが肩から多く流れる仕組みだった。だから、痛みも我慢できた。リハビリの一環だから頑張るしかない。でも早めにいかないと間に合わなくなってしまうから、慌てたりもした。看護婦さんが熱々のバスタオルを何本も持ってきてくれて、体を拭いてくれた。髪がもしゃもしゃでひどかったので、子供みたく2つに襟もとで縛っていたけれど、ドライシャンプーで綺麗にしてくれたので、嬉しかった。

驚いた手術後の処置

 手術の経過と処置には驚いた。今まで、自分には一切縁がなかったから無知なのかも知れないけれど、外科手術といったら、まず切開した傷の消毒とかガーゼの取り換えとかを考えていた。なのに、一切傷の手当てはしないのだ!そこで、看護婦さんに聞いてみた。「あの、先生、全然キズのチェックはしないですけど、大丈夫でしょうか?」
看護婦さん曰く、「大丈夫ですよ、先生も傷が順調に回復しているって、わかっていますよ」
 私、「え~? 体に入れたチタンにコンピューターのチップとか埋め込んであるんですか?それを、先生はパソコンでチェックしているんですか?」 
 看護婦さん、大爆笑。「違いますよ。私たちが体を拭いたり、お着替えを手伝ったりする時に見て報告しているんですよ」 
 そうだったのか。それにしても一切出血もないし、とにかく防水テープみたいな大きい絆創膏でしっかり覆われているみたいだった。自分では見ることができないからわからなかったけれど。
 あんなにすごい大手術をしたのに、傷には手術した時のままの絆創膏なんだ!出血とか膿が出る人は、その絆創膏が汚れたり、何か液体のようなモノがはみだしてくるらしい。私が入院した時、そういった理由で退院が長引いた、という患者さんもいた。それにしても、不思議だった。

手術後5日目、ベッドが窓際へ移動

 朝、看護婦さんに、午前の採血、午後のレントゲン、MRI、CTの造影と先生の回診のことを告げられた。いろいろ話していたら、看護婦さんが、「今日新たに2人の患者さんが入院してくるけれど、その前に、窓際に移りたい?」と聞いてくれた。この2日間は、4人部屋に私一人だった。自分のベッドは、ドア側で「窓際に行きたいな」と思いつつも、「こればかりは運だな。仕方ないね。次に来る人はいいなぁ、窓際に行けるしな」と、考えていたのだ。だから、看護婦さんが、そう聞いてくれた時は、飛び上がるほど嬉しくなった。「良いんですか?もちろん、窓際に行きたいです!」 
 もう1人の看護婦さんも応援に来てくれて、2人の看護婦さんでベッドやら戸棚やらいろいろ動かしてくれたので、本当に驚いた。すべてローラー付きだから、移動は簡単なのだそうだ。それにしても、何て素晴らしく優しい看護婦さんなんだろう。私は本当に幸せに満ち足りた気分になった。恵まれていることに、感謝した。 
 その日はいい天気で、青空がきれいだった。
何日ぶりに見る空だろうか?大きな木も見えた。緑色の新幹線も見えた!
 環境心理学の勉強をしたときに、病室から見える景色に木や空があると、回復が早くなる、と教わった。本当に、不思議なくらい、気持ちが変わる。世界が一気に広がるのだ。看護婦さん、本当にありがとうございました。 今でも心から感謝しています。
 空と木と新幹線を見ていたら、食欲がわいてきた。一日3食の有難みをとことん味わった。これまで早食いの私は、よく噛むなんてことはせず、食べ終えてから何を食べたんだったっけ、というくらいの、がっつきようだった。でも、病院では3食以外何も食べられない。だから、口に含むごとによく噛んで箸をおき、両手をあわせ、素材の美味しさを味わった。
 こんなこと、今までの人生にはなかったことだ。退院しても、これからは、よく噛み、一口食べるごとに箸をおき、ありがたみを味わおう、早食いの私は卒業しよう、と新たな決心をした。 
 午前中、2人の患者さんが次々と入院してきた。一人の人は、高齢の方で、この病院に来て手術するのは3度目だといっていた。もう一人の人は、一時は整体とかで良くなったのだけど、ある日突然激痛が走り、この病院に来たら、即手術と言われた、と私と似たようなことを言っていた。
 午後になり、検査室から担当の人が 迎えに来てくれたので、ついていった。「じゃあ、MRIとるから、ベッドに仰向けに横になって」と言われて、きょとん!「私一人でこのベッドに横になれるのかしら?」と自問自答。でも、入院ベッドと同じようにやればいいんだ、と気づいた。少しずつ、頭がさえるようになってきていた。

MRI と シャワーの許可

 MRIというのは、初めてやる人には、脅威だ。
「が~ご~」「ぐ~ご~」 という耳をつんざくような音がする。音楽が流れたヘッドフォンをしてくれるので、初めは気持ちいいのだけれど、すぐに、ものすごい騒音が聞こえてくる。本当にうるさい。耳の悪い私でもそう思うのだから、耳の良い人はさぞ辛いことだろう。それにドームのようなところにベッドごと入れられるのだけれど、その時間がかなり長い。狭所恐怖症の人はアイマスクとかしてもらえるのかなぁ?と考えたりした。「まだかなぁ」「まだかなぁ」「まだかなぁ」と3回ぐらい思っていたら、ようやく終わった。レントゲン撮影も CTも無事終了。 
 夕方先生の回診があって、「傷口はきれいだ。この特効薬の痛み止めの針ももう抜こう。それにその薬は今朝から止めているしね。ちょっと、チクッとするよ。じゃぁ、今日からシャワーも使っていいよ」とお許しがでた。
「来週の火曜日に、手術後の経過とか退院の話とかしよう。ご主人もくる?」と聞かれたので、「もちろんです!」と即答。
 心の中で、「え~、退院?来週にはもう退院?思ったより早い、びっくり!」そうつぶやいていた。この先生は、いつもニコニコしていて、どんな時でも元気をくれるから、大好き。病院の先生が好きなんてこれまで一度も思ったことはないから、この先生は格別なのだ。看護婦さんたちも、それでみんな優しいのかな、と思ったりした。  
 嬉しくなって意気揚々とシャワー室に向かったが、その嬉しさもつかの間。「あれ、どうやって一人でシャワーを浴びるんだろう?」 と、またしても戸惑った。そして「ここでひっくり返ったら、元も子もない」と、はしゃぎすぎている自分に落ち着くよう言い聞かせた。椅子とか、つかみ棒とかがあちこちに配置されていたので安心してシャワーを浴びることができた。6日ぶりのシャワーで、汚れた身体や髪を洗い流し、ようやく生き返った気がした。部屋に戻ってから「どうしたら、再発しないですむのか、どう腰を守っていけばいいのか」と、ネットでいろいろと調べてみた。
 再発予防の心得として、”猫背や悪い姿勢はとらない、重いものは持たない、腰をひねらない、中腰の姿勢をとらない、定期的に運動をする、ストレスをためない、硬性コルセットは、最低3か月から6か月はつける”、ということだ。「退院したら、本を買ってきちんと調べよう、もう絶対に手術なんか、しないんだから」と何度も心の中で繰り返した。

手術後6日目(日曜)

 今週退院できるなんて、本当に驚きだ!でも、いろいろ用意しておかなければならないことがある。歩行器補助やシャワーを浴びるとき用の椅子、ベッドでの座椅子や介護用テーブル、落ちたモノを拾うツール、サプリも必要だろう、といろいろ考えた。早く注文しないと、間に合わない。病院では、いたって暇なので、1日中かけてショッピングの情報をピックアップした。

手術後7日目(月曜)

 今日から面会許可が下りて、家族が会いに来てくれた。それですっかり嬉しくなってしまったせいなのか、よくわからなかったが、家族が帰った後、急に手術で切開した横腹の下あたりが痛くなってきた。看護婦さんに訴えると、腫れている、という。自分でも恐る恐る見たら、やはり腫れていた。看護婦さんは、「出血したところがだんだん下におりてきたのね」と言い、そういったことは良くあるのよ、みたいな口調で「心配いらないわよ。湿布薬あげようか?」と言って湿布してくれた。先生の回診のときにも痛みを告げると、先生にも同じことをいわれた。でもその意味がよくわからず、「内出血?」と、心配になり、内出血で死ぬ人もいるという記事をみつけて、なおさら不安になった。

手術後8日目、午後の三者面談

 この日も朝から、横腹の腫れが引かず、痛くて仕方ない。土曜日に割と平気で歩行器を使って歩いていたことが嘘のように思えてきた。先生に言うと「心配なら、退院をのばして週末もここにいる?でも大丈夫だよ。予定通り、水曜に退院していいよ。今日の午後ご主人くるよね?今後について話そう」 先生がそう言ってくれたので、少し安心した。私の場合は、どうやら内出血で死ぬような事態ではなさそうだ。入院していると、やることもないし、みんなが病気だから、ろくな考えが浮かんでこない。気分を紛らわすために、ショッピングの続きをした。家に来てくれる出張美容師さんというカテゴリーがあることを知り、退院してから来てもらうように手配した。もう、ステキ気分の髪形は卒業。これからは、さわやかショートにしよう、と決めていた。 
 午後には、主人を交えた三者面談があった。先生が手術の経過と手術前後の写真を見せてくれた。チタンが2枚はいっていて、それが釘のようなもので止められているのがはっきりとわかった。先生が笑いながら「身長2㎝伸びたよ!」 は~、どおりで、痛かったわけだ、と、心の中でつぶやいた。こんなものが今は私の体の中に入っていて、私を支えてくれているのか、と思ったら、涙が溢れそうになった。
 あのとき急に脚が痛くなり歩けなくなって、それがこんな結果になるなんて、思いもしなかった。今まで一度も腰が痛い、なんてことなかったし。 ストレスで血流が悪くなると、いろんな悪影響が体にでてくる、と書かれてあったけれど、今の私にはそのことが信じられる。ストレスがすべての元凶なのだ。
 先生が、「腰椎の第3、第4って手術したけれど、MRIを見る限り、来年か再来年には第5の腰椎も手術、ということになるかもしれないね」というから、「手術、それだけは、もう嫌です!何とかして腰椎が悪くならないように守ります!」って思わず口に出していた。主人なんかは、「第5の腰椎も一緒に手術してくれたら良かったのにね~」なんて、お気楽に言う。
「人の気も知らずに、よくそんなことが言えるわ」と思ったけれど、あえて口にしなかった。自分が注意して、第5の腰椎を守れば良いだけのこと。明日、硬性コルセットが届いたら受け取って退院ということになった。やはり、家に帰れると思うと、嬉しくてしかたない。

退院当日

 今日は、退院するということで、朝からそわそわ。嬉しい気持ちと、まだわき腹の下の痛みがあるのと、優しい看護婦さんたちに会えなくなる、という気持ちがまじりあっていた。そうこうしているうちに、硬性コルセットが届いた。うわ~ こんなのなんだ、と驚いた。硬くしっかりしたもので、ベルトが2本ついている。下着の上からつけて、まず下の方のベルトを締め、上のベルトを締め、仕上げにもう一度下のベルトをきつく締めなおす。しっかり腰がおさまり、はめ込んだチタンがこれで固定されるというわけだ。少なくとも3か月から6か月はつけるようにとのこと。「トイレに行くたびに、とりはずすのですか?」と聞いたら、「おすすめは、肌を守るためTシャツなどの肌着の上にコルセットをつけ、その上にかぶせるように、下の肌着をつければ、トイレに行くたびに外す必要はなくなります」確かにそうだ。 今までMサイズのショーツだったけれど、家に帰ったら、XLサイズの大きなボックスタイプのパンツを注文しようと決めた。

帰宅

 看護婦さんたちにお別れを告げ、家に帰ってきた。
 所狭しと、モノが置かれていた家が、シルバーカーが通れるように、片づけられていて、とてもすっきりしていた。
「シルバーカー」というのは、スーパーとかに行くと、おばあちゃんたちが後ろから押しているあの手押し車みたいなモノ。椅子がついていたりすると、疲れたら座れるから便利! シルバーカーとは、よく言い当てたものだ。私が通るところは広くなったけれど、それまで乱雑に置かれていた家具などが、一つの小さな部屋に押し込められていた。それでも、ここまでよく片づけてくれたものだと、関心した。息子たちはもう独立しているから、一人で片づけたのだろう。想いやリのある主人に心から感謝した。注文してあったものがすべて届いていた。シルバーカーともの拾いツールが一番のお気に入りとなった。シルバーカーは、歩くのを支えてくれるし、座ることもできる。もの拾いツールは、腰がかがめない自分に最高に役立つ。先っぽにライトがつくから、腰がかがめるようになっても、一生役に立つだろう。ベッドの介護用テーブルもベッドで食事をしたり本を読むのに便利だし、ベッド用座椅子も、寄りかかれて快適。お風呂場の椅子も、あるからこそ、安心してシャワーが浴びられる。これから、好きな時間に好きなものがいくらでも食べられるのかと思うと、楽しくて仕方ない。でも、三食きちんとゆっくり素材を味わいながら食べようと、思っている。

退院翌日、進行度チェックリスト

 予約していた美容師さんが来てくれた。介護の資格を持つ美容師さんなので、忙しいらしい。希望を伝えたら、思っていた以上の出来上がり。お値段も美容院に行くのと変わらないくらいなので、次回もお願いしようと思った。これですっきり!はつらつとした新たな自分にご対面!
 本を読んで調べてみたら、飛び出した椎間板ヘルニアは、手術しなくても、自力で引っ込められることが分かった。また、腰のヘルニアの進行度チェックリストというのを見つけた。手術前の自分は、なんと進行度3という重症だった。この目安は、”脚にも違和感があり、スリッパが脱げやすい。また平らな場所でもつまづきやすい” まさにこれだった。かれこれ3年ぐらい前から平らなところで、しょっちゅう、つまずいていた。靴が原因だと勝手に思い込み、靴を買い替えたりしていた。この情報を知っていたなら、もっと早くに、それこそ3年くらい前に、MRIのある整形外科を訪れていたことだろう。そうしていたら、自力で引っ込めることができていたかもしれない。でも後悔したところでもう遅い。これからのことを考えなければ、と思った。

退院後初めての診察

 診察の結果、傷口はキレイだと、いわれ、安心した。お風呂の許可も出たけれど、とてもじゃないけど、お風呂の浴槽に足を上げて入るなんて、怖くてできない。なので、お風呂は当分お預け。それにまだわき腹の下が痛む。次回は来週。久しぶりに看護婦さんたちに会えて嬉しかった。みんな、私の髪が短くなっていたのでわからなかったようだ。

退院後2回目の診察

 この間の診察からまた、1週間がたった。傷もキレイだし経過もいいので、次は1か月後、といわれた! ひゃぁ!それで大丈夫なの?と少し不安になった。Atofine(アトファイン)テープというのを購入し、1週間に一度、傷口の絆創膏と取り換えるように、との指示。このテープは、手術後の傷あとが目立ちにくくなるようにするための、傷あとを保護するテープらしい。「貼ったままシャワーも大丈夫。傷口が完全にふさがっている状態に使うように」と、注意書きにはあるが、私の傷はもう完全に塞がったのだろうか?そうでないと、困るよなぁ~、と一人ぶつぶつ。
 1か月後は、MRIやらレントゲンの検査もあるらしい。もう、わき腹の痛みもなくなったので、シルバーカーもなるべく使わず、自力で歩くことにした。

腰椎を守る正しい姿勢

 本を読むと、正しい姿勢が一番大事だと書かれてある。正しい姿勢とは、歩く時も座る時も基本は同じ:あごを引き、おなかも引っ込め、視線は正面まっすぐ。そして、歩く時は、膝をのばし、大股で、ゆっくりと、かかとから着地してつま先に重心を移す。そうやって歩いていたら、主人が「アシモみたいだね」と笑っていた。
 座る時は、腰のあたりにこぶし1個分を開け深く座り、足は膝から直角の角度で床におろし、足全体を床につける。椅子の背もたれやひじ掛けは使わない。つまり、社長イスはダメで、社員イスが良いってこと。

退院後17日手術後26日

 そんなこんなで、シルバーカーも、ベッド用の座椅子も卒業した。介護用テーブルはそのままベッド近くにおいて私の新たな勉強机に変身。ベッドのある部屋が私の勉強部屋になった、なんか、すごく快適、モノが少ない、ってこんなに気持ちのいいことだったんだぁ、と今更ながらに思った。今までは、どこもかしこもごちゃごちゃしていて、所狭しと、ものが溢れていた。ゆっくり片づけをする時間もなかったのが事実。今思えば、何と、乱雑でうっとうしい生活をしていたのか。
 リハビリもわざわざ通う必要はなさそうだ。家でエアロバイクとかを使い、ゆっくりと自分のペースで少しずつ筋肉をつければ良いらしい。無理は禁物、焦りも禁物。でも、動かさないとダメらしい。

これからのこと

 これからは、不用品はどんどん処分し、髪がさっぱりしたように、家のごちゃごちゃもすっきりと片付けていく。
 今までの、無茶苦茶、忙しすぎた生活には、もう戻らない。これまで頑張りすぎた自分に、落ち着いてゆっくりできる時間を、神様があえて与えてくださったような気がしている。
 あれほど泣き叫んだ手術後から、まだ1か月も経たないうちに、ここまで回復したなんて、本当に感慨深い。 
 これからは、気分を新たに、心豊かな、さわやかな人生を送っていきたい。
 

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